LSE留学: 3週間目

日本にいる間は本当に多忙を極めていて、なかなか本ブログ上で報告する時間も取れませんでしたが、8月22日からロンドンにキャンパスのあるLondon School of Economicsという大学のMasterプログラムに来ています。合計2年間のコースなので、これから2年間はみっちり勉強しなければなりません。8年ぶりの学生生活なので不安でいっぱいです。笑

大学院ではMPA(Master of Public Administration)という、MBA(Master of Business Administration)の公的セクター版と考えると分かりやすいコースに入っています。特に、その中でもEconomic and Public Policyという、経済政策・公共政策を専門的に分析したりする分類にいますが、LSEMPAが他大学と最も異なるのは次の2点です。

① 7割以上が英国外から参加していて、且つその分野のプロ(の卵)が多い
② 統計・数理的な分析に最も重点を置き、履修内容もLSEの中でも最もハード

本コースは9月末から開始なので、まだ英語準備コースにいるばかりで実際のところはよく分からないのですが、同じくNon Nativeで準備コースに来ている同僚も何人かいるので話をしていると、大体そんな感じで当っているようです。日本人は、官公庁からの公費留学という人が殆どですね。うらやましい! 笑

昨日までは英語に慣れるためもあり、ホストファミリーのところに滞在していましたが、今日からは大学の寮暮らしです。(ホストファミリーがイタリア家庭で、かなりイタリア語も話してしまいましたが・・) 人生初の寮ですが、ちゃんとやれるのでしょうか・・。既にシャワーは壊れているし、かなり不安もあります。

ロンドンは、何というか、結構肌に合っている気がします。日本やイタリアのような、人間関係の濃さ・近さといったものは殆ど感じませんが、その分、一人ひとりの自由度が高いように思います。極端な例だけど、先日とある森林公園を散歩していたら、広場を裸で歩いている男性を何人か見かけました。かなり驚きましたが、そんな自由さがあるんだろうと思います。

まだまだ生活の基礎づくりをしているような状況なので、あまりアクティブには動けていませんが、そろそろ会社のロンドン・オフィスを訪ねたり、Cool Britanniaを24歳で手がけたMark Leonard氏(http://markleonard.net/about/)にも会いに行かなければですね。

これから、また少しずつでもブログを書いていこうと思います。

恐怖の"Made In Japan"

New York Times:日本の原発事故はチェルノブイリと同レベルに
"Japan Nuclear Disaster Put on Par With Chernobyl"


海外の友人曰く、ヨーロッパでは原発事故前に製造された日本製デジカメに注文が殺到しているとのこと。逆に、事故後の製造ロットは放射能で汚染されているから買えないということです。

思い返せば、私自身もイタリアに留学する際、「チェルノブイリ原発事故で飛散した放射性物質が、ジェット気流に乗ってイタリアにも到達しており、例えば小麦畑も汚染されている」という報道があり、非常に怖い印象をもった記憶があります。

ウクライナから遠く離れたイタリアでさえ、そういう懸念をもってしまう。「放射能」という言葉には、それくらいの威力があるのです。誤解を恐れずに言えば、毒入り懸念のある中国製餃子よりも大きく深い恐怖。これが今、"Made In Japan"を襲っていると言ってもいいでしょう。


放射能汚染された日本製品・食材は触ることさえ危険だ
・日本人労働者・観光客が自国内に物を持ち込むのは嫌だ
・日本人と結婚すると健康な子どもを望めない可能性が高い
・日本観光・留学は当分の間(何十年単位)健康被害が伴う
・日本に法人・オフィスを設置しても社員を出向させられない


海外の人々は日本全体に対して、福島第一原発の周辺地域に日本人が抱いているよりも、更に大きな恐怖を抱いてしまっている。チェルノブイリとフクシマは、実態はどうあれ、印象レベルでは同じくらいの恐怖対象であるし、この狭い島国では一地域を封鎖して片付けるようなことはできないので、国家全体がそのレピュテーションを自らのものとして被らざるを得ない。

失墜した"Made In Japan"ブランド回復のためには、下手をすると数十年の歳月が必要かもしれません。たとえ、徹底的に輸出品を放射能チェックする体制を設けて数年単位で厳格な基準運用を続けたとしても、そのイメージは拭い去れないでしょう。既に"Made In Japan"は選好される対象から、忌避される対象へと変質してしまったのです。

日本は国家として危機管理に失敗してしまった。危機管理のできなかった企業、たとえば雪印ミートホープが今どうなっているかを見れば、この国全体の将来は容易に推測できるでしょう。

下:都市経営のPublic Involvement

東京復活のためには、これ以上新たなインフラを整備する必要なんて無い。

既に存在する価値を新たな物語の中で再定義し、正しくオープンにしていけば、それで良い。重要なのは中身とやる気。つまり都市としての実力だ。しかしながら、とても残念なことに、今の東京にそれを牽引するリーダーは存在しない。

都市、つまり社会の変革に向けたリーダーシップは政治(政治家)が担うべきですが、それを経済的な成功に導き実現させるためのマネジメントは民間(経営者)の役割です。このように、リーダーシップとマネジメントが両輪で機能することで社会変革は起こり、実現される。変革が成功すれば歴史に名前が残る。失敗してしまったときには責任をとって辞任すれば良い。それは政治家も経営者も同じだ。

とはいえ、その2者の役割の違いは明確に自覚しなければならない。政治家は事業の経営者にはなれないし、経営者は政治家にはなれない。知事が公金を使ってオーストラリアの水道事業を買収するのも、ゼネコン経営者が勝手な都市の未来像を描いて政府予算を引き出そうとするのも、どちらも同じくらい残念な状況と言わざるを得ません。

来年には東京都知事選挙が予定されています。国政が混乱を極めている中で、日本に残された数少ないカードを無駄にしないよう、この東京という都市の再生に向けた物語について考えていきたいと思っています。それは、政治家や経営者だけが考えるべきものではなく、まさに我々自身がコミットして見出していかなくてはならない可能性であって、もしそれができなければ、なるべく早めに上海か香港に旅立つのでしょうね。

中:東京の新しい物語とは

先日、「世界第2位の経済大国の中心都市」が、その前提から崩れ落ちてしまいました。

経済の規模という点で、今後中国と伍していく可能性、つまり過去のフィクション復活はあり得ないように思います。また、そんなことに心血を注ぐ意味もないでしょう。要するに、そうではないフィクション。それも東京固有の可能性と魅力をもった物語が必要なのでしょう。

良い物語は、常にターゲットが明確で分かりやすい。例えば、映画人が目指すのはハリウッドで、ファッション・デザイナーならミラノ。ソムリエはとりあえずフランスでしょう。時計職人ならバーゼルでしょうし、ロビイストはワシントンでしょうか。それくらいの解像度でターゲットを設定して、東京を再設計する必要があるような気がします。

世界中のTVゲーマーやアニメファンというのも、もちろんその一部でしょうし、日本料理を修業する人々や、美理容業のプロフェッショナル達も対象になるかもしれない。日本の高度医療を、海外の医師や薬剤師、看護師が研修医として学ぶというのも良さそうです。世界中の自治体職員が、日本の素晴らしい自治の体制・方法論を学びに来るというのでも良い。

メガトレンドとしてのグローバリゼーションの一方で、本当に「価値」をもたらす源泉はローカルにしか存在しないということの意味も、世界中で共有されはじめています。その地域にしかない技術・料理・建築・音楽・演劇・風土・コミュニティなど、固有であればあるほど、その価値を共有する人が多ければ多いほど、都市としての実力・魅力は高まります。

スウェーデンヨーテボリ市は、ボルボエリクソンといった著名な企業によって生み出される価値から、そういったローカルなコミュニティとして自生する価値へと、その都市の社会・経済の方向性を移行することに成功しつつある事例として有名なのだそうです。旧来型の町興し・村興しではなく、グローバリゼーションの文脈の中で都市を再定義する動きが始まっているようです。

上:「首都圏」というフィクションの崩壊

地方自治体の広報課や広報官の方々とお話しすると、どの自治体でも、口を揃えたように同じことを言います。

つまり、「XXXを、首都圏に訴求したい」と。XXXとは、観光地や物産品、企業誘致プログラムなど様々ですが、この「首都圏」という言葉が出てくる度に、一種の眩暈を覚えるわけです。そして、この眩暈の原因は、東京という都市に対して日本全体が未だに抱いているフィクションの絶大さ・根深さにあります。

もちろん、「首都圏」は購買力あるマーケットであり、金融機関・大企業の本社機能や官公庁、主要メディアも集中している。しかし、首都圏の誰に?という議論を深めていくと、結局は首都圏という地理的なセグメンテーションに特段の意味が無かったということに気付くことが多い。つまり、首都圏という解像度でのターゲティングは、殆ど意味を為さないケースが多いのです。

と同時に、より重要なことは、彼ら自身が抱いていた首都圏⇔地方という世界観が崩壊するということです。「首都圏」というフィクションが既に東京に存在していないという事実に気付くことで、自地域が本当に対峙すべき相手について、改めて考え始める。それは、大きな前進であり、地域の自立に向けた意味のある第一歩であるように思います。

一方で、まさにその「首都圏」が抱える病は、更に重篤であると言わざるを得ません。

日本の社会・経済を牽引する役割を果たせなくなって15年以上が経ち、「首都圏」というフィクションは既に内実ともに瓦解してしまっています。例えば、東京という都市で働くことが「世界級のキャリア」を保証するものではなくなってしまった。20年後のキャリアを見据える時、東京よりも香港・上海の方が有利であるという認識は、既に常識レベルと言っても良いのではないでしょうか。

MARCOM投資のシミュレーション・モデル

今年の2月にCommunication Designというエントリーを書いてから、掲題のテーマで研究を進めてきました。母校大学院の先生に指導いただきながら論文に纏めて、7月末の国際学会(GLOGIFT 2010)で発表。そのモデルをベースに開発したシステムが、これです。

簡単に言うと、ターゲット・セグメント市場の諸条件を初期値におき、「どのタイミングで、どういった種類のMARCOM投資を、どれくらいの量で投入すれば、どれくらいの有効需要を喚起できるか」をシミュレートできます。左下の二重線で囲ったパラメーターや施策変数(投入量)をインプットすれば良いだけ。非常にシンプルです。

これまでMARCOM(Marketing-Communication)の世界には、明確に「有効需要」を目標においた「投資」モデルが存在しませんでした。一つには、あまりに複雑な事象を扱うMARCOMの投資効果を予測・評価することはできないという諦めが。もう一つには、現場のマーケターや広報担当の古典的な思い込み、つまりMARCOMは費用であって投資ではないという甘えがあったように思います。

その結果、日本における広告宣伝の投資効果は1を割り込み、MARCOMに投資すればするほど損をするという構図ができあがってしまいました。バブル崩壊前は100投資すれば平均的に280の新規有効需要が得られたのに対し、それ以降は100投資しても80しか得られないという状況です。

「このMARCOM戦略・予算は、目的に照らして妥当か?」という問いに対して、未だに誰も明確な回答を用意できない。ゆえに、誰もMARCOM戦略・施策を全体としても部分としても最適化できない。効果の見えない予算を継続する体力は、もはや企業にないので、どんどん撤退していく。商品は売れず、価格のみが競争優位性を決定する。利益率が下がり、長期的な研究開発に向けた予算が取れないので、経営は更に短期志向に陥る。

そんな状況を打破したいと考え、この研究を進めてきました。MARCOMが機能すれば、少なくとも需要サイドの問題は解決しうる。きっと日本で初めて、MARCOM分野に最先端の工学的アプローチを適用して作り上げたモデルであり、これから実地で応用していきながら精緻化を図っていきます。

東京が進むべき道とは

これは国連統計局の調査(2007年)です。「都市的集積地域」ということで、実際の行政区分上での人口ではありませんが、いかに東京が群を抜いた都市であるかが分かります。

域内GDP(2006年)でも、東京都は92.3兆円と、オーストラリアやオランダ、スイスを上回ります。さらに、東京都庁の財政規模(12.4兆円:2009年、特会も含む)は、カナダの国家予算(15.1兆円:2006年)に匹敵します。カナダの人口が東京都民の3倍程度であること、且つ東京都予算には外交安保等の予算負担が無いことを鑑みても、こんなに大規模な「自治体」もないわけです。

次は、定性的な側面も見てみましょう。



NHK放送文化研究所が1996年に行った調査を見ると、日本人の思う「日本を代表する都市」とは、東京と京阪神の2極に集中していることが分かります。(上図は「自県以外で最も親しみを感じる都道府県は?」という調査の結果を図示したもの) もし同じ調査を他の先進国でやったらどうなるか。間違いなく、こんなに集中することはないでしょう。先進国の首都として、これだけ「認められている」都市も稀というわけです。


このように、東京は日本の社会と経済を代表し、名実ともに「首都」として機能してきたと言えます。


しかし、それも既に過去の話です。東京は、特に国際都市として、全く機能できなくなっているのです。

例えば、オランダのデルフト工科大、スイスのIMD、カナダのブリティッシュ・コロンビア大やモントリオール大。東京都が作った首都大学東京が、それらに比肩する大学となり得るための道筋は殆ど見えていません。東京都庁は、それらの国を上回る予算をもっていながら、です。

東京モーターショーは、既に世界3大モーターショーの座を上海に奪われてしまっていますし、主要な通信社や新聞・雑誌社は過去10年で東京駐在記者を3分の1に減らして、その分を中国に異動させている。国際的な発信力が急速に衰えつつあるということです。

ファイザー、GSK、ノバルティスといったメガ・ファーマも、アジアの研究開発拠点を東京(筑波)から上海に移してしまいました。今や、人件費だけでなく、人材の質でさえ、東京は上海に劣るという判断がされているということです。


GDPベースで日本全体の37.2%を占める東京が、日本を牽引する責任を果たしていない。つまり、これは東京都だけの問題ではなく、日本全体の問題であって、過去15年間の日本社会・経済沈滞の原因が東京にあるといっても過言では無いと思うのです。


東京が進むべき道とは何か。猪瀬副知事のように、公金を使って民間企業の事業リスクをとるような意味不明な道で無いことは明らかだ。「東京都が日本の成長戦略を担う!」という問題意識は理解するが、政府としての支援・関わり方を考えるべき。おじいちゃんたちの「坂の上の雲」のために、これ以上、新銀行東京のような失敗を積み増さないで欲しい。

東京は、日本に残された最後で最大の可能性と言っていい。東京を再生できるかどうか。そのプランを出せるかどうか。それが我々自身の未来をも決定すると思っています。