Scotland旅行 後半

20日:フォート・ウィリアムエジンバラ

14:30にエジンバラ中央駅でLSE MPAの友人マックス(マクシミリアン)と待ち合わせているため朝ごはんを8時に食べ、9時には出発する。朝ごはんに出てきたBlack Puddingというものが非常に美味しいので、原料は何かと聞くが、いつもハキハキとしている女将さんがモゴモゴと口ごもるので、変だなと思いつつ完食する。その日の夜にマックスが写真を見て、これは豚の血と脂を固めて焼き上げたものだと説明してくれ、少し衝撃を受ける。

エジンバラまでのルートは、これまでと違い、海岸線をなぞるのでなく高原地帯をまっすぐに突っ切るもの。道も単純で事前に地図をコピーして確認しても、特に大きな問題は無く、3時間強で到着する目算。途中で休憩を入れながらゆっくり行こうと出発。

フィヨルドの谷をまたぐ高架橋を渡って暫く行くと、広大な景色の広がる場所に出る。基本的には、巨大な山がフィヨルドに削られ出来上がった谷の底に自動車道が整備されており、運転していると両側に迫る山の大きさに圧倒される。早速、途中のパーキングに車を停めて少し歩いてみることにする。

運よく登山道入り口を見つけて200メートルほど登ってみる。登山道入り口で中国人の大学生に声を掛けられ、途中まで一緒に歩く。グラスゴー大学で工学を勉強し、この夏に卒業するのだそうで、中国に戻るのでなくヨーロッパで就職先を見つけたいと言っていた。彼に限らず、一般的に中国や東南アジアからの留学生は、まだまだ自国の経済・生活レベルが相対的に低いこともあり、戻りたがらない傾向が強いように感じる。

景色を堪能した後、車に戻る。中国人の彼はこれから7時間かけて登山をするそうだ。少し車を走らせていると大きな平野が目に入る。走る車も少なく、スイスイと行くと三叉路に出る。もう一つの道は私のルートに無い番号の道だったので、それまで来た番号と同じ道を選択して車を走らせる。思えば、それが間違いだった。

その後、全くの一本道が続き、頭の片隅で変だなと思い続けながらも更に1時間半ほど行くと見覚えのある街に着く。なんと、昨日海岸線沿いを走っているときに通過したObanであることに気付き、全く逆方向に来たことを知り、途方にくれる。やはり小まめに道を確認しながら来るべきだった。

早速マックスに道に迷った旨をメールし、再出発する。距離的には3時間分の運転を全て帳消しにするほどのロスがあり、かなり急がないと待ち合わせの時間には間に合わない。更に、こんな時に限って山道でタンクローリーの列の後ろについてしまう。もう焦るのは止めて遅れることを織り込んで行くことに決める。

Stirlingからは高速に乗り、70-80マイル以上で飛ばす。先日書いたように、80マイルは110キロくらいと勘違いをしていたので、日本の高速より少し速いくらいの感覚だったが、実際には130−150キロくらい出ており、結局は14:30にエジンバラに到着する。空港でレンタカーを返してバスに乗り、中央駅に着いたのは15時過ぎ。マックスと会って、早速ホテルに荷物を置きにバスに乗る。

ホテルといってもB&Bくらいのレベルで中国系移民の家族が経営している。英語があまり通じず不安を覚えるが、部屋の清掃やセキュリティはしっかりしているようだった。荷物を置き、早速街に出る。

エジンバラは丘の頂にある城を取り囲むように街が作られており、そのため緩やかな坂が多い。とても綺麗な街で、道を曲がるたびに何らかの発見がある。まるで街全体が設計されているような完成度だ。城の近くのGrassmarketという通りにあるバーで牛肉の煮込み料理を食べ、また少し歩き回った後、Last Dropというバーにて、今日迷いに迷って辿りついた街と同じ名前のウィスキーObanを飲む。

その後マックスの大学時代からの旧友であるセバスチャンが合流し、3人でセバスチャン一押しのバーに向かう。3人同じくKilchomanを頼み、結局その一杯だけで夜12時まで語らう。セバスチャンはコロンビア人とドイツ人のハーフで、オランダで弁護士資格を取った後、現在エジンバラ大学知財関連の修士課程にいる。ドイツ語が話せるのかと思いきや、スペイン語と英語だけということで、3人の会話も英語になる。

エジンバラでは常に雨が降っているが、エジンバラの住人達は傘をささない。フードつきのパーカーやジャケットを着込んで、雨が降れば頭にフードをかぶって平気で歩いている。私もロンドンで入手したBarbourのジャケットだけで雨を凌いで歩くが、防水性は完璧に近く、傘の必要性は感じなかった。

雨の匂いはVictoria Stにあるこのバーにも立ち込めており、照明の暗さもあいまって、一種の不思議な静寂がある。多くの人々が飲んでいるにも関わらず、ロンドンのような喧騒がないため会話がしやすい。

運転の疲れもあり、ホテルに戻った後は倒れるように眠りにつく。


21日:エジンバラ

朝8時に朝食。9時に街に出て、エジンバラ城に向かう。朝から雨が降り続いていて風も強く、あまり観光日和ではない。13時まで城の中をウロウロと歩き回る。ロンドン塔と同じような構成だが、エジンバラの方が戦うための城という印象が強い。王冠や王杓の宝石も、ロンドン塔では540カラットのダイヤモンドだったのに対して、エジンバラでは小振りの水晶。2つの王室の間に、圧倒的な財力・権力の差があったことを伺える。

城の中には第一次・二次世界大戦の記録・資料も多く展示されており、日本軍やドイツ軍から接収した日本刀や鉄十字軍旗もあった。マックスの祖父はドイツ陸軍の将軍の一人だったそうで、ナチス将校とやりあった際のエピソードを聞かせてくれた。今すぐウサギの肉料理を出せと主張するナチス将校に、そこら辺にいた猫を料理させて食べさせたらしい。大戦前半はパリの基地にいて、後半はロシアにいたとのこと。

マックスもその一人だが、ヨーロッパのエリートは容姿や姿形から一目でエリートと分かる出で立ちをしている。Tシャツなどは着ず、常にボタンダウンのシャツで髪や髭もきれいに整えており、控えめな笑顔を絶やさない。一方で自分の国について話をするときは熱がこもり、若干国家主義的なバイアスが掛かることもある。特にギリシャ問題についての憤りは大きいようだ。

13時の時報を城壁で聞いた後、雨もひどくなってきたので昼食を兼ねて近くのバーでハンバーガーを食べる。ちょうどBBCアウンサンスーチー氏のウェストミンスター寺院でのスピーチを生放送していたので最初から最後まで見る。ビルマにおける民主主義の象徴であり思想的・精神的な柱であったアウンサンスーチー氏が、70歳弱にして野党第一党を率いて具体的な政治活動を開始している。

そういう背景もあってか、壮大な夢を語る抽象的・思想的なスピーチというよりも、英国に援助を依頼したいこと(特に民主主義教育の資源・資金援助)を並べた具体的・実務的な内容であった。とはいえ、アウンサンスーチー氏が語った「今回の機会を逃した場合、また数十年間の停滞期にビルマは戻ってしまう。そういう意味で、今現在が最も難しく重要な時期である。」という言葉は切実で、共感を呼ぶメッセージだったと思う。

全く雨も止まないので国立博物館に向かうことにする。スコットランドの歴史を見た後、地球上の巨大生物についての展示があり、巨大生物好きとして釘付けになる。閉館時間まで粘り、外に出るが雨が止む気配は無い。仕方なく雨の中を徘徊し、エジンバラ大学近くのバーでABERLOURとTOMATIN(それぞれ12年)を飲む。完全に地元民しかいないバーで、隣のおじさんは自分の財布をテーブルの上に放置したまま席を離れるというくらいのアットホームさ。

カウンターに座っていた地元のお爺さんが話しかけてきて、Black Bottleというブレンド・ウィスキーを紹介される。1杯1.9ポンドで恐ろしく安いのだが、アイラ島のウィスキーのみをブレンドして作っているらしい。ということで、二杯目はそれにする。ただ、個人的にはアイラの特徴が全て消えてしまっていて好きな感じではなかった。

セバスチャンがやってきて、エジンバラ大学の中の学食兼バーで夕食をとる。学食といっても非常に雰囲気が良く、残念ながら我がLSEとは随分差のある素敵な建物で、お酒もご飯も美味しい。ピザとJuraを頼んで7ポンド。エジンバラ大学は非常に良い。笑 学費もLSEの1/3〜1/4だそうだ。

エジンバラ大の学食でヨーロピアン・カップチェコポルトガルの試合を見る。グラスゴーで見たチェコポーランドの印象ではチェコは余り強くなく、対ポルトガルでは全く攻めることができずに1点決められて試合終了。とはいえポルトガルも以前ほど強くは無く、精彩を欠いている。全体的に世界のサッカー水準って前回ワールドカップの頃と比べると下がっているよねと話を振ると、たしかにあの頃から目立った選手も殆ど出てきていないよね・・と、暫くサッカー停滞期とその理由に関する議論になる。

なぜかマックスも私も非常に疲れており、その後はホテルに帰ってすぐに就寝。


22日:エジンバラ〜ロンドン

また8時から朝食を取った後、荷物を引き上げて9時に出発。いったん中央駅のDepositoryに荷物を預ける。朝から随分良い天気で昨日とは全く違い、日差しが暑いくらい。エジンバラ名物の尖塔に登り、階段を207段上って頂上に到着する。先のとがった形状の塔なので、上に行けば行くほど階段が狭くなっており、よく太った人が上のほうで嵌まって動けなくなるのだそうだ。それがよく分かるくらい狭い階段だった。

頂上に着いて一息入れていると東のほうから急速に霧が立ち込めてくるのが見える。すると瞬く間に街が霧に包まれ、ポツポツと雨が降り始める。50mほど先にあった時計台が全く見えなくなるほどの濃霧で、高い塔の上から眺めていると外界から隔絶されたような不思議な気分になる。全く何も見えなくなったところで塔を下りる。

マックスの予約した電車が2時半出発なので、それまで時間を潰そうと、骨董品店やツイード・ジャケットの洋品店、ウィスキー専門店、楽器店等を冷やかして回る。二人とも前日に食べ過ぎているので全く食欲は無く、カフェに入ってもコーヒーしか頼まない。

出発時間も近づいてきたので中央駅に戻る。私は飛行機移動で液体物が持ち込めないので、マックスにお土産のウィスキーを持っていってもらう。その後一人で新市街を散策して記念にTシャツを購入する。不景気なのかどの店でも50%以上のセールをやっている。グッチやプラダ等の高級店でも70%オフと書いてあるのを見ると、このユーロ危機というのは本当に深刻なのだなと改めて思う。

17時にトルコ人のウミットと先ほどの尖塔の下で落ち合い、Scotch Malt Whisky Societyの本店に向かう。ウミットはLSEで規制法関連の修士課程にいて、トルコでは公正取引委員会で通信事業の民営化を担当していたそうだ。ウミットと一緒に、ペルー人のマリアとブラジル人のフラビアも来ており、4人でSocietyに向かう。

SMWS本店は前評判どおりの素晴らしい建物でかなり広い。まだ17時だというのに席は既に埋まっており、少し待ったが運よくすぐに窓際のテーブル席を確保する。最初に簡単にシステムを説明した後、各人にウィスキーの好みを聞き、ウミットにはLaphroaig、マリアとフラビアにはCraigellachie(クレイゲラキ)、自分はClynelishを頼む。ウミットはピーティなものを、女性陣にはフローラルなものを、自分は少しバランスの良いものを。

マリアはペルー人女性特有の非常にがっしりした体躯の持ち主でよく喋る。最初の就職先がアーサー・アンダーセンということで、かなり盛り上がる。今はMA専門の弁護士事務所で働いているらしい。時間単価が高いでしょと話を振ると1時間200USDということで、ペルーの物価を考えれば相当な高額ということが分かる。

CraigellachieはSocietyのスタッフが薦めてくれたものだが、驚くほどフローラルな香りにシャープな果実味が素晴らしい。私も2杯目はCraigellachieを頼む。マリアは2杯目も甘い系が良いと言うので、Glen Elginを紹介。

飛行機の時間が近づいてきたので19時過ぎにSocietyを出て、一人で空港に向かう。中央駅で荷物を取り出してから、朝から何も食べていないことに気付き、バーガーキングでチーズ・チキン・バーガーのセットを購入してバスの中で食べることにする。

早めに空港に着き、ウィスキーの試飲所でBalvenieの18年をいただく。結局この旅は最初から最後までウィスキーだったと満足し、またBalvenieの意外な美味しさを発見し、乗り込んだ機内ではあっという間に寝てしまう。

結局自分の部屋に着いたのは深夜1時過ぎ。こんな部屋でも帰ってくるとホッとするものだなぁと思いながら就寝。