Scotland旅行 中盤

18日:アイラ島

朝起きると昨夜に飲んだウィスキーで胃がやられていることに気付く。そういえば殆ど朝から何も食べない空きっ腹に酒を流し込んでいたと反省。アールグレイにミルクをたっぷり入れて2杯ほど飲んだ後、熱いシャワーを浴びるとほぼ回復。

朝食のため8時に食堂に向かうと、既に他の宿泊客が3人(グラスゴーから来た夫妻とエセックスから来た老婦人)来ている。大きなテーブルに同席する形なので自然と自己紹介やらが始まり、朝からウィスキー談義に花が咲く。朝食は昨日と同様のスコティッシュ・ブレックファーストで量が多い。老婦人(パトリシア)と最初の行き先が同じことが判明したので、車に乗っていきますかと訪ねると是非にとのこと。非常に上品な人で、若い頃は随分綺麗だっただろうと思う。

まずはLaphroaigラフロイグ)の蒸留所見学ツアーに参加するためポート・エレンを目指す。Port Ellenという既に閉鎖された伝説級の蒸留所があるが、それはこの地名から来ており、Laphroaigはそのすぐ近くにあるらしい。老婦人はLaphroaig蒸留所内のピート畑に区画所有権(生涯貸与)を持っているらしく、その区画(といっても30cm四方くらいの面積だが)を是非見に行きたいと言う。

島を突っ切って空港を右目にひたすら走るとポート・エレンに到着する。老婦人の祖父母の世代が50年以上前にやっていたというホテルを見たいというので街中を走る。改装・増築されてはいたが、今もホテルとして続いているのを見て、老婦人は非常に嬉しそうだ。少女の頃に一度来たことがあるらしく、次回はこのホテルに泊まりたいと言っていた。港に面した非常に素敵な建物で、60-70年以上も前の記憶を辿る場所としてはすごく良いだろう。

Laphroaigに向かう途中、閉鎖したはずの蒸留所Port Ellenの煙突から煙が上がっているのを見る。その理由はLaphroaigで明らかにされるのだが、どうやら蒸留自体は既に終了しているもののウィスキー用の製麦は継続しているらしく、原料となる麦(発芽させ燻した状態の麦)を他の蒸留所に卸しているとのこと。現在、製麦から熟成までの全工程を蒸留所内で行っているところはLaphroaigBowmore、Kilchoman、Spring Bank、BalvenieHighland Parkのみ。

BalvenieとはGlenfiddichの職人達が自分たちのこだわりで作るためにGlenfiddichの横(同施設?)で蒸留している銘柄であり、厳密に蒸留所と言えるかどうかは不明なので外すとして、現在イギリスでは5つの蒸留所のみしか原料から仕込んでいるところがないと言える。極論すればCaol IlaやArdbegなどは蒸留機械や熟成樽くらいしか違いがないことになり、日本酒ではなかなか考えづらい分業体制を取っていることが分かる。

蒸留所に着くとツアー開始まで15分ほどあり、老婦人が自分の区画の場所について聞くと同時に、なんと私にも区画権を贈呈するよう交渉してくれたらしく、区画所有登録と区画地図、地代?(Laphroaigの小さなボトル2本)を早速プレゼントされる。ということで、ツアー後にそれぞれの区画に行ってみることに。

Laphroaigは何と言ってもピート独特の燻製の香りが特徴的な、アイラ島を代表するウィスキーである一方、人によって好き嫌いが大きく分かれる傾向がある。シングル・モルトのウィスキーを少し詳しく調べながら飲み始めると大体すぐに出会う銘柄の一つで、日本でも比較的安価に入手できる。Laphroaigは毎年かなり大規模に生産しており、蒸留所自体もBowmoreより大きくCaol Ilaより少し小さいくらいの規模。とはいえその蒸留過程は今回見学した中では最も手が掛かっており、且つ丁寧な印象を受けた。

蒸留所見学ツアーに参加すると、自分以外は大体50−70代の欧米人が多い。人種もゲルマン民族系が多く、日本人以外のアジア人や、アフリカ系・ラテン系民族は全く見ない。夫婦で来ているケースが殆どで、夫婦揃ってウィスキー好きということが多い。ある意味、30代でこの経験ができたということ自体が非常に幸運なことのように思った。

ここでは製麦からピートを燃やした乾燥・燻製の過程から、原料粉砕・発酵の過程、蒸留・熟成の過程まで全てを見ることができる。なかでも各工程で出来上がる仕掛原料の味見ができるのは、これから何年もの熟成期間を経て出来上がるウィスキーに思いを馳せるという意味でも得難い経験だった。

ツアーが終わった後はLaphroaigのQuarter Caskを試飲する機会があったが、車を運転するために断念。Laphroaigロゴ入りのテイスティング・グラスを頂いて終了した。終了後は老婦人と自分の区画を見に行く。スタッフの方が手作りの日本国旗をくれたので、訪問の記念に自分の名前を書いた日本国旗を自分の区画に立て、写真を撮る。辺りを見回すと各国の国旗が立ち並んでいて、やはりゲルマン系民族の国旗が多いことを再確認する。笑

Caol Ilaが製造工場然として自動的にウィスキーを生産しているのに対して、Laphroaigはウィスキー好きの職人達が一つ一つの手間を愛しみながら一樽ずつ作り上げていくという印象。BowmoreLaphroaigと同じく製麦からの全工程を蒸留所内部で行っている一方、Laphroaigに比べると少し粗い感じ。蒸留所の立地もLaphroaigが街から離れ、海に面した林の中にあるのに対し、Bowmoreは街中にあり蒸留所の窓から自動車の走る音など生活音が聞こえる。どちらが好きかというのは完全に個人の好みの問題だが、私は今回最もLaphroaigに良い印象を持った。

Laphroaigの後はLagavulinとArdbegの蒸留所を回り、老婦人が是非行きたいという1300年前の教会の遺跡に。ゲール文字やケルト模様の美しい遺跡を見た後は島を一周するルートで街に帰ろうとするも、道が途中で終了していたためにかなり遠回りをすることになる。山道は舗装されていないところも多く、羊の群れが道を占拠しているなど、牧歌的な景色が楽しいドライブでした。途中で突然飛び出してきた子羊を危うく轢きそうになり、かなり驚きましたが。

ドライブをしつつ老婦人と色々な話をする。英国王室、サッチャー以降のイギリス政治、原発問題、ゲール語の歌と詩、老婦人がエセックスに所有する丘と庭園(旦那さんが生前趣味にしていた鉄道模型が走っているらしい)。日本には東京オリンピックを見に来たことがあり、横浜に滞在していたという。現役時代は体育教師をしていて、パリで英語教師をしていたこともある。5年前に夫を亡くしてからは時々旅行に出るのが趣味なのだそうだ。

街に帰り老婦人と夕食の約束をした後、Bowmoreの蒸留所見学ツアーに。Laphroaigに負けず劣らず拘りのウィスキー造りをしている。ピートで燻している最中の部屋に入れたのは、Laphroaigと違って煙が少ないからだろう。(Laphroaigでも燻製中の部屋を外から覗かせてもらったが、人間が入るには煙が立ち込めすぎていた。)

ツアーのガイドをしてくれたスタッフに、「なぜアイラ島にはこれだけ多くの蒸留所が集中しているのか」と聞いてみたら、その回答が面白かった。

1.[英国政府の国内産業保護] アイルランドからの酒類輸入に際する関税が引き上げられた際、地理的に比較的近いアイラ島アイルランドの技術移転が進みウィスキー製造拠点となった。
2.[地下経済拠点としての発展] 本島からアクセスしにくい立地を活かして密造酒の一大生産拠点となった。Bowmore規制撤廃年が創業年となっているがそれより以前から生産していた。
3.[人的資本集積と天然資源] 1と2により比較的早期からウィスキー生産職人が集積したため高度な技術をもつ人材が多く生まれた。またピートが多く採れる土地柄も有利となった。

ところでBowmoreは現在サントリー資本の傘下にあり、蔵にはサントリー先代社長の佐治氏やエリザベス女王の所有する樽が眠っていた。ちなみに現在は個人の樽の保存はやっていないそう。樽を一つ買っておいて、自分の葬式かなんかで来場者に振舞うっていうのを、ちょっとやってみたいと思ったりしました。今買っておけば、50-60年ものを振舞えるくらいには生きられるかもしれない。

夜は街のレストランで老婦人と会食。HaddockのFish&ChipsとArdbeg15年を頼む。Fish&Chipsは今まで食べたものの中で最高に美味しい。ちょうど雨がパラパラと降り始めていて、砂浜に面した席からは海に落ちる雨粒がよく見える。嘴の赤い鳥が一羽、雨の中で一生懸命に貝を探しては空けて食べようとしている。老婦人はバード・ウォッチングが趣味と言い、あれはOyster Catcherねとその鳥の名前を言い当てる。(その後ホテルにあった本で調べたら本当にそうだった) 食後、老婦人がどうしても払うと言ってくれるが、そこは固辞する。


19日:アイラ島フォート・ウィリアム

朝、また同じように熱いシャワーを浴びた後、早めの朝食をとってから早速出発する。ポート・アクレイグのフェリーが9:30には出航するためだ。8:30にB&B"An Cuan"を出て港に向かう。早く出たのはBunnahabhain(ブナハーベン)という港近くの蒸留所を見るためだ。子ウサギや子鹿が跳ねる田舎道を10分ほど行くとなだらかな斜面の下に、なだらかな湾に面した蒸留所が見えてくる。少しだけ中を見学するが、あまり感じるものは無い。蒸留装置が他の蒸留所に比べると随分錆付いていて汚い。蒸留所全体も暗い雰囲気で、なぜか小鳥達が酔っ払ってまっすぐ飛べずにフラフラと彷徨っていた。

Bunnahabhainを出て港に向かいフェリーに乗る。またクジラやイルカを探すが何も見えず。とはいえ非常に良い天気で、2時間の船旅を満喫する。11:30にKennacraigに到着後すぐに出発してFort Williamに向かう。Tarbertを経てObanを通り過ぎ、Fort Williamに着いたのは15:00。山が多くアップダウンの激しい道のため安全第一で運転。しかし、マイル表記のメーターではスピード感が全くつかめない。

(今調べてみたら、時速60マイルはちょうど時速100キロくらいのようで、勝手に80キロくらいと思っていたのは間違いだったらしい。速いところでは80マイル以上出していたので、最高スピード130〜150キロで走っていたことになる。全く安全運転ではなかった。苦笑)

Fort Williamでは以前からやってみたかったフライ・フィッシングを。小さな沼で一日漁業権を買い、釣竿と仕掛けをレンタルしてから15分だけやり方を教えてもらう。クリント・イーストウッド似のおじさんが竿の降り方や毛針の着水の仕方を丁寧に教示してくれる。狙ったポイントに毛針を落とすのは、やってみると案外と簡単だった。

しかし16:00から19:00まで3時間、釣竿を振り続けるが結局一匹も釣れない。時間帯が悪いということもあるのだろうが、あまりに何の感触もないので、途中からはすっかり魚釣りというよりは狙ったポイントに着水させるゲームをやっていた気がする。また15分ごとに雨⇒曇りと天気が激動する中で、地元民がミッチーと呼ぶ小蝿(虻のように刺す)と戦い続けるのは結構大変だった。

何も釣れなかったがそれなりに楽しんだ後はホテルに向かう。19世紀に建てられた貴族の館を改装したホテルで、ものすごく豪華な外装・内装。フィヨルドに削られた特徴的な形状の湾を目の前に建てられており、あたかも100年以上前の会話が聞こえてくるような気がした。もしかすると、日本がロシア艦隊を殲滅した話題などが食卓に上ったかもしれない。近くのレストランに出かけ、またFish&Chipsを食べる。

その夜、暖炉に火がくべられたホテル内のバーで、今朝方行ったばかりの蒸留所Bunnahabhainの18年を楽しんでいると、スティーブ・ジョブズそっくりの米国人男性が話しかけてくる。驚くほど似ているので最初は本当にジョブズなんじゃないかと思ったほど。とはいえ職業は内科医(Physician)だそうで、子ども3人が大学に行き、手が離れたので奥さんと二人で旅行に来ているとのこと。招かれるままに彼らのテーブルに行って様々会話を楽しむ。

とはいえ、行ってみて分かったのはジョブズ氏の奥様が少し険悪な雰囲気だったということ。たぶん2人で旅行に来たものの色々あって雰囲気が微妙になってきたので、一人で飲んでいる男を招いて刺激を入れたのだろう。奥さんも良い人なのだが米国人女性にありがちな唯我独尊性格で、ジョブズ氏も米国人男性にありがちな奥様至上主義なため、そういう理不尽な険悪さにもニコニコと対応している様子だった。私もかなり気を使い、持っていたカメラで二人の写真を撮ってあげたり、息子さんの自慢にOh Great!と相槌を打ってみたりと、せっかくのBunnahabhainを楽しむどころではなかった。苦笑

ジョブズ夫妻と別れて12時ごろに就寝。