上:「首都圏」というフィクションの崩壊

地方自治体の広報課や広報官の方々とお話しすると、どの自治体でも、口を揃えたように同じことを言います。

つまり、「XXXを、首都圏に訴求したい」と。XXXとは、観光地や物産品、企業誘致プログラムなど様々ですが、この「首都圏」という言葉が出てくる度に、一種の眩暈を覚えるわけです。そして、この眩暈の原因は、東京という都市に対して日本全体が未だに抱いているフィクションの絶大さ・根深さにあります。

もちろん、「首都圏」は購買力あるマーケットであり、金融機関・大企業の本社機能や官公庁、主要メディアも集中している。しかし、首都圏の誰に?という議論を深めていくと、結局は首都圏という地理的なセグメンテーションに特段の意味が無かったということに気付くことが多い。つまり、首都圏という解像度でのターゲティングは、殆ど意味を為さないケースが多いのです。

と同時に、より重要なことは、彼ら自身が抱いていた首都圏⇔地方という世界観が崩壊するということです。「首都圏」というフィクションが既に東京に存在していないという事実に気付くことで、自地域が本当に対峙すべき相手について、改めて考え始める。それは、大きな前進であり、地域の自立に向けた意味のある第一歩であるように思います。

一方で、まさにその「首都圏」が抱える病は、更に重篤であると言わざるを得ません。

日本の社会・経済を牽引する役割を果たせなくなって15年以上が経ち、「首都圏」というフィクションは既に内実ともに瓦解してしまっています。例えば、東京という都市で働くことが「世界級のキャリア」を保証するものではなくなってしまった。20年後のキャリアを見据える時、東京よりも香港・上海の方が有利であるという認識は、既に常識レベルと言っても良いのではないでしょうか。