LSE Public Lec: 拡張する自己

昨日はヨーロッパの市民セクターに関する調査でロンドンに出張中の古い友人と、彼の研究パートナーの方がLSEまで訪ねてきてくれました。"友人"というのもおこがましくて、昔からお世話になりっぱなしの方なのですが、なにより久しぶりにお会いできたのが嬉しかったのです。

カフェテリアでBig SocietyやPPPに関するお話を伺った後、大学のPublic Lectureにご招待して、次のようなテーマの講演に参加してきました。

Date: Monday 10 October 2011
Speaker: Professor Katalin Farkas

Our iPhones, diaries, computers or collaborators are extensions of our minds, according to a philosophical argument. This lecture investigates the significance of this claim in our understanding of the notion of a self.

ちょうどお二人の関心テーマが、「IT技術を用いて行政・企業・市民セクターの協働・創発を促進する方法」であったので、ちょうど良い内容でした。

私自身は、お二人ほどこのテーマに関しては詳しくない(なにしろ電子行政関連のタスクフォースに入っている方なので・・)のですが、非常に興味をそそられる内容でしたので、備忘録的に少しまとめておこうと思います。

さて、以下は講演の中で出てきた3つの問いです。

  1. 交通事故で短期記憶能力を失ったオットーは、全ての予定や知人の名前を手帳に書き付けて管理している。
  2. 心理学部に通う富豪令嬢ロッテは、いつでも解答を教示してくれる心理学者を雇って学期末試験に臨んだ。
  3. 30代主婦のインガは、問題が起きると常に、思慮深く慎重な性格のに相談し、そのアドバイス通りに行動している。

1のオットーは「記憶」を脳の外にストレージしている。2のロッテは「記憶」とともに「知的機能」を。更に3のインガは「記憶」と「知的機能」に加えて「価値観・スタンス」までをも自らの脳の外にアウトソースしているという例です。

元来、「自己」を形成している様々な要素の多くは脳に蓄積され機能していたわけですが、それを脳の外でストックしたり機能させたりする割合が近年非常に大きくなっている。たとえばスマートフォンなんかを使い始めると、いちいち予定や文書の中身は記憶しておかずに、必要に応じて検索ボタンを押すだけになる。

もう少し酷くなると、せっかくみんなで議論しているのにスマートフォンで他人のブログを出してきて参照コメントばかり出すようになる。

こういった"Extended Self (拡張する自己)" というトレンドが、21世紀のヨーロッパ哲学界において、いま注目されているらしいのです。インターネットの登場によって現在も指数関数的に増大しつつある「ものすごい量の情報」を前にして、人間がいったい何を自分の脳の中に置いておくべきで、いったい何をどこまで外にアウトソースして"良い"のか。

このLectureを聞いていて感じたのは、いま成功しているソーシャルメディアを含む新しい形の情報・知識流通プラットフォームは、すべからくこの価値階層を踏んでいるなぁということです。

例えばTwitterFacebookをこの階層的枠組みの中で評価すれば、いわゆる旧来型のネット検索エンジンとは異なり、未だネット上に情報としては掲載されていない、他者の脳の中にある記憶・知的機能・価値観なんかを収集できるツールとして位置づけることもできるわけです。

人間はどうしたって何かに依存する生き物なので、その依存する内容が根源的なものであればあるほど、その方法を示唆されて学習してしまえば、簡単にそれに従ってしまうものです。

政治学では、特に個人としての意思決定がどのように集団としての決定に反映されるかという問題にフォーカスして学んでいますが、逆に集団・プラットフォームの仕組みがいかに個人の自己形成を規定するのかという問題も面白いなと思いました。

最後に、この先生が掲げた問いが、なかなか秀逸でしたので挙げておきます。

"Are they Extending the self or Diminishing the self?"

自己の拡張とは、自己の消失なのか? 自己の拡張と消失は正比例の関係にあるのか、もしくは拡張の先に新しい形の自己形成があるのか。ちょっと面白いテーマですよね。