なんで"政治"は、こんなにもどかしいのか

  • なんで、こんなに民意とかけ離れた政治が横行しているんだろう?
  • 問題を解決できないのは、能力とやる気が不足しているからではないか?
  • 特定の団体の利益ばかり重視して、歪んだ補助金や規制が導入されている。

「政治」によって社会の望まない選択や不平等・不公正をもたらす意思決定がなされるのを見る時、市民は政治に幻滅し、政治的なもの一切からの逃避を始めます。政治への無関心や、時に「政治が悪い」ことを理由にしたモラル・ハザード(投票棄権、徴税回避)など。

しかし、そもそも上述した問題の発生しない民主主義的な意思決定メカニズムなど「理論的に」存在し得ないとしたら?

例えば、7人の有権者がある政策について5つの選択肢を優先順位付けして投票する場合、それら有権者の理論的な総意とは異なる結果(優先順位)が選挙結果で示される確率は21.5%にも上る。

これはCondorcet's Paradoxとして知られ、投票者と選択肢の数が増えれば増えるほど、誤謬が発生する確率は高くなります。しかし、ここで最も重要なことは、「そもそもそういった誤謬が発生することを理解して気をつけていれば、そんな単純な間違いは避けることができるのでは?」という我々の考えは完全に誤りであるということです。

1972年にノーベル経済学賞を受賞した論文 "Social Choice and Individual Values" (Kenneth Arrow, 1963)によると、以下のような単純な条件を全て同時に担保しつつ、個々人の選好を合理的に統合するような意思決定のメカニズムは「理論的に」存在し得ないことが明らかになっています。

  1. 全ての有権者が独自の選好に基づいて、選択肢間の優先順位付けをしている
  2. 有権者が選択肢AよりもBを好むなら、集団としての選好も同様になる
  3. 有権者の選好・優先順位が変化しないなら、集団としての選好も変化しない
  4. 有権者の選好は相互に独立しており、且つ均等に扱われる

たとえば1〜3の条件を満たす集団的意思決定メカニズムは必ず4を満たさない。つまり独裁制か、もしくはメカニズムが全く機能しない状況に陥っているか、どちらかであるということを証明しています。

これは政治家の質の問題や、直接民主主義や間接民主主義といった方法論の問題をはるかに超え、そもそも個々人の選好を統合して集団としての意思決定を行おうとする政治的メカニズムが内包する問題として認識しておく必要があるということです。

ここで注意しなければならないのは、①民主主義を否定して独裁政治を導いてしまうことと、政治的無関心に陥って悪意ある第三者に操作されてしまうこと

民主主義的な意思決定メカニズムがその根本にエラーを内包しているということは、要するに、少数の個によって意図的・戦略的に、社会の望まない選択や不平等・不公正をもたらす意思決定を引き起こされてしまう可能性があるということの裏返しでもあるわけです。

民主主義における"政治"は、傍から見ていて本当にもどかしい。しかし、そのもどかしさに駆られて独裁制をもたらす非本質的な方法論(首相公選制など)に依存しようとしてみたり、全くの政治的無関心へと逃避したりしてはならない。

むしろ、政治的な意思決定メカニズムに依存しないオルタナティブを探し続けることこそが自由主義社会に生きる市民の役割ではないか。

レクチャーの纏めも兼ねて、つらつら考えたことを纏めてみました。