Communication Design

2年ほど前から漠然と、今やっている仕事を科学的に体系化したらどうなるのかということについて、頭の片隅で色々思考実験をやっています。未だ「答え」めいたものには辿りつけないでいるのですが、問題意識は以下のエントリーで書いたとおりです。

読書メモ:アダムスミス
マス・マーケティングの埋没
気象予報士とコンサルタント


つまり、

Ⅰ 成熟した社会・市場において有効需要を喚起するということは、どういうことか?
Ⅱ マス・マーケティングの需要創造能力が低下する一方で、それを補強し得る戦略とは?
Ⅲ 新たな戦略が立脚するモデルは、科学的議論に耐えうる理論として体系化できるのか?


Ⅰの有効需要とは「◆◆円支払っても▲▲が欲しい」(WANTS)ということです。貨幣経済においては「◆◆円」が支払われなければ、それは有効需要とは言えません。更に販売価格の◆◆円が、▲▲の開発・生産・販売に係るバリューチェーンのコストを上回らなければ、それは経済的な付加価値を創出したと言うことはできません。(要するに赤字)

成熟した社会・市場においては、WANTSを規定するNEEDSの多様化が進むとともに商品機能の差別化も難しくなり、結果として「万人に受け入れられる商品を、どれだけ安く生産できるか」の1点が市場競争のルールになりがちです。とはいえ、お隣の中国のように市場が急拡大している間は良いのですが、そうでなくなった瞬間に、このルールに則った成長には限界が敷かれてしまう。そして、これは我々日本人が過去15年の間に嫌というほど直面してきた現実でもあります。

つまり、価格競争に陥らずに損益分岐点を超える販売価格・量を実現するためには、市場側でWANTSの質・量をその水準以上に創造できることが前提になるわけです。そのために、多様化したNEEDSを適切な場所・タイミングで拡大させたり、集約させたり、新たに創造したりする戦略が必要になるのです。

ちなみに商品には、消費者の関与度合によって買回品と最寄品の2種類があると言われます。旅行や腕時計等の嗜好性が高いものは、自ら能動的に情報収集・検討して購買行動を起こすため、買回品に分類されます。対して、洗剤やトイレット・ペーパー等は、あえて下調べして買いに行くようなものではないので最寄品とされます。

この商品分類に基づき、消費者行動論では情報処理モデル(買回品)と刺激反応モデル(最寄品)の2種類を用意しています。前者をベットマン・モデル、後者をハワード=シェス・モデルと呼びます。広告代理店の人が好んで使うAIDMAとかAISASというのは、ハワード=シェスの刺激反応モデルで、広告等の外部刺激をInputし続ければ、購買行動というOutputが得られるというものです。広告効果測定が「到達度」(cf.視聴率)という「どれだけInputしたか」指標に偏っているのは、このためです。

しかし、これらの分類も多様化したNEEDSの前では実効性を持ちえません。なぜなら腕時計が最寄品になるケースもあるし、洗剤が買回品になる場合もあるからです。マズローの5段階欲求のどこに、その商品に対するNEEDSが位置づけられるかは、消費者個々人によって全く異なります。同じH2Oであっても、水道水が段階1であるのに対し、ボルビックは段階4〜5のポジショニングに成功しています。(cf. 1ℓ for 10ℓキャンペーン)

更に、これだけ情報が氾濫した社会では、Inputの量さえコントロールが難しいと言わざるを得ません。広告代理店では、このInputコントロールを消費者動態に即して行うことを「コミュニケーション・デザイン」と呼んでいますが、上述の通り、私はそれでは十分でないと考えています。(もちろん、とても重要な試みの1つですが) たとえ仮にInputコントロールができたとしても、それがOutputにどれだけ繋がるか分からない上に、そもそもNEEDSの拡大/集約/創造に向けた道筋が見えないからです。

次にⅡについてですが、最終目標に有効需要(WANTS)、操作目標にNEEDSの拡大/集約/創造を設定すると、そのための誘導変数にISSUEを挙げることができます。具体的には、「除菌のできる洗剤”アリエール”を買いたい」というWANTSに繋がる「洗濯物を除菌する方法が必要」というNEEDSを拡大・創造する為に、「普通の洗濯方法では黴菌を洗い落とせない」というISSUEを喚起するというものです。これは金融政策において、最終目標に有効需要を、操作目標に短期金利を、そして誘導変数にオーバーナイトの無担保コールレートを設定するのと同様の考え方です。

これは、まさにベットマンとハワード=シェスのハイブリッド・モデルに挑戦する試みです。ベットマンの実務的な欠点は、関与・知識の水準・領域が消費者個々で異なる上にその判別が難しいということにあります。(ハワード=シェスの問題点は上述の通り) しかしWANTSをOutputとして、NEEDSの拡大/集約/創造をProcessに設定し、ISSUEを誘導変数としてInputに置くと、そもそも高関与を前提にできるため、ベットマンの問題点を解決しつつハワード=シェスを援用することが可能になります。

最後にⅢに向けた課題ですが、このISSUE⇒NEEDS⇒WANTSモデルの再現性・適合性を、どのように測定・評価するか。共分散構造分析など、SEM(Structural Equation Model)を使えばなんとかできそうな気はします。また金融政策理論の援用も考えられます。更にチャレンジしてみたいのは、MAS(Multi Agent Simulation)です。消費者をInfluencerやOpinion Leader、Followerに分類し、且つ各類の分散や密度といった条件を変更することで、市場全体がInputに対し、どのようなProcessとOutputを見せるのかシミュレーションできるようになることで、所謂本来的な「コミュニケーション・デザイン」が可能になるのではと考えています。