クジラを守るには?

クジラが友達か食糧かなんていう議論は、不毛な対立しか生みません。ただ、この真っ向から対立する両者には、合意できる点が少なくとも一つあるはず。それは、クジラが友達だろうと食料だろうと「地球上から、いなくなっては困る」というポイントです。両者にとってクジラが大切な存在であることは、疑う余地がありません。

そもそも、友達でも食糧でも、基本的にクジラを守るための活動に大きな違いはありません。クジラの種類ごとにその絶対数を把握し、且つ生態系を調査して保護するだけのことです。その中で、サステイナブルな頭数だけ捕って食べればいい。サステイナブルでない頭数を越えて食べていたら、いつか絶滅して、結局は食べられなくなってしまう。サステイナブルであることが保証されれば、特に「誰が何を食べるか」について他者がとやかく言うことはできない。

ただ、それだけのことです。

そして、この政治的紛争を決着させるためには、利害・感情と隔絶した科学的調査を進めればいい。例えばモンゴルとかウズベキスタンのような、クジラなんかに関心を持たない内陸国の科学者を100人ランダムに選んできて、クジラの種類ごとに「サステイナブルな頭数」を見積もらせればいい。そして、100人の結論の平均値でも取ればいい。延々と決着のつかないIWC議論の中で、工作したり他国の票を買ったりし続ける費用と労力を考えたら、よっぽど安くつくはずだ。

しかし、そうはいっても抜き差しならない「大人の事情」があって、事はそう簡単に進まないわけです。先日の「"地球温暖化"論否定に向けた聖戦」でも同様の問題を紹介しましたが、科学的議論を回避して泥沼化させたい勢力というものが、ここにも存在するのです。

例えば、国内で「クジラは日本の食文化だ!」と叫ぶことは、日本の政治家にとって、メリットしかない。「スパコンは見直しだ!」とか言って、ノーベル賞科学者たちから袋叩きにされるより、ずっと良いのです。

そして、それはオーストラリアの政治家にとっても同様です。2007年の選挙で勝利したオーストラリア労働党政権が掲げる公約にも、重要項目として「日本に捕鯨をやめさせる」というものが盛り込まれています。この類の、国民感情を総動員可能なイシューというのは、特に政権与党にとっては非常に便利なものです。

更に、鯨研とシーシェパードも、実際には相互にマッチポンプをやっているようなものです。昨年末の事業仕分けで、鯨研は明らかに無駄な事業*1をしているにも関わらず、議題にすら挙げられませんでした。これは、クジラ議連という国会議員100人超を要する超党派議員連盟が存在するためです。一方、シーシェパードも今回の捕鯨妨害活動で、相当額のファンド・レイジングに成功したでしょう。間違いなく、相互に感謝しあっているはずです。

しかし、これらの政治的陶酔や、意味不明な利権維持のために浪費される税金と労力。更には日豪両国民相互の感情対立。そして何より、サステイナブルでない調査捕鯨で絶滅してしまうかもしれないクジラたち。世界の殆んど全ての人々が、この問題で、いわれのない被害を被っている。まさにLose-Loseの関係に陥らされている。そのことに早く気付いてほしいと思います。

Win-Winなのは両国の政治家と、鯨研、それからシーシェパードくらいのものですね。

*1:毎年80億円も投じて、わざわざ南極海まで大船団を繰り出し、日本人の年間消費量の5倍も乱獲してきて、それを日本国内でダンピングしている。そのため、日本の沿岸で民間漁業者が捕鯨をしたくても事業が採算ラインを割ってしまう。明らかな民業圧迫