チンパンジーの世界観

チンパンジーは、ヒトに最も近い動物です。そもそも現在の我々(ホモ・サピエンス)というのは、チンパンジーの祖先から熱帯雨林を追い出され、平地での生活を余儀なくされた種が起源であるそうです。

チンパンジーに樹上世界を追い出されたのが200万年くらい前。それから狩猟・採集生活を経て、20万年前にようやく人口が10万人を超えたと考えられています。そして、その同時期に一部がアフリカ大陸を旅立ち、現在のように世界中に分布していきました。更に、たった50年前、人類は地球を出て宇宙にまで進出したわけです。

なお現在、ヒト以外の霊長類(オランウータン、ゴリラ等)は全て絶滅危惧種に認定されており、既に進化の競争からは取り残されている。一方で、ヒトの人口は指数乗数的に増加中です。

地球の資源が一定である限り、近い将来必ず頭打ちになる時期が来るので、もうそろそろ頭打ちになるはず。とはいえ、ヒトとチンパンジーの種としての差が、ここまで大きく開いたのは、どういう所以か興味深いですよね。

人類学者の長谷川眞理子先生は、この問題について研究する際、最初にこんな疑問を持ったそうです。

“20万年前に10万人しかいなかった人類が、何故わざわざアフリカ大陸を出て行こうと思ったのか?”

普通に生きるだけなら、そんなに移動しなくても良いし、わざわざ北極圏や砂漠地帯まで進出しなくても良かったはず。それは純粋な「好奇心」であり、好奇心こそが人類文明の根源に存在しているのでしょう。

ちなみにチンパンジーも好奇心の強い動物ですが、ヒトのそれは更に旺盛なようです。例えば平均的なチンパンジーの一生における移動面積は10〜15平方kmであるのに対し、ヒトのそれは自然状態でも500平方kmになるそうです。

更に、その旺盛な好奇心の成果を文明にまで昇華させたのは、「コミュニケーションにおける3人称」の存在によるところが大きい。言語(単語・文法)はチンパンジーにもある程度修得が可能ですが、チンパンジーが3人称を理解することは(トレーニングを受けた個体でも)極めて難しく、この1点がヒトとチンパンジーの運命を決定づけたと言っても良さそうです。

これには、少し説明が必要です。

例えば、チンパンジーの子どもに言葉を教えても「食物の要求」が殆んどであるのに対し、ヒトの子どもは「世界の描写」が大半を占めるということが分かっています。「ワンワンがいる」という類のコミュニケーションは、「犬がいる」という3人称的世界に関する状況認識を、2人称である他者と共有・確認するために行われているのです。

そもそもチンパンジーの世界には、1人称である「自分」と、2人称である「自分以外」しか存在しません。なので、チンパンジーの親が子どもに何かを教えることは無く、石で果物の殻を割ったり棒でアリを釣る等の単純なスキルであっても、その習得に平均9年もかかります。(その代わり、瞬間的な記憶力は人間と同程度乃至それ以上で、見たことを真似する能力は高い) チンパンジーの子育てには、子どもが自分の食べ物を盗っても怒らないという程度の「許容」しか存在せず、「教育」は無いということです。

一方で、ヒトの繁栄の背景には、その指数乗数的な文化・技術の蓄積があります。例えばパソコンのメモリは指数乗数的に速く・小さくなっています。これは、1人の天才による継続的な技術革新ではなく、世界中の技術者たちが様々な形で共同した成果です。

ヒトは、その世界観に3人称を得たことで、2人称とのコラボレーションができるようになりました。共同して感じ・考え・取り組むことができるようになったことで、チンパンジーにできない教育も可能になった。

その結果、再発明の必要が無くなり、様々な因果関係を推論・共有できるようになり、更に目の前にないものをシミュレーションできるようになった。電子顕微鏡さえない時代に原子の世界を「見る」ことで、原子力エネルギーを得るに至った。

つまり人類の偉大な発見・発明は、「コミュニケーションにおける3人称」が原点に存在すると言っても過言ではないのです。

以上は全て長谷川先生の受売りですが、そういう意味で、この3人称を人類レベルでどのように認識し、取り組むのかは非常に重要なことだと思うわけです。それこそがヒトの意識や行動を規定するものだし、例えば環境問題、貧困問題、紛争問題その他あらゆる人類が直面する問題を解決していく礎になる。

願わくば、この「ヒト固有の資質」が邪悪な思惑に支配されずに、正しい方向に向かいますように。操作された世界観ではなく、あるがままの対象を客観的に捉え行動できる自立した強さが人類にあれば、きっとそれらは解決ができる。そういう仕事をしていきたいと思います。