クジラは友達か?食糧か?

毎日朝夕のニュースで、シーシェパードが日本の調査捕鯨船を攻撃している様子を見ていると、すごく面白くない気分になりますよね。こんな時、手っ取り早く世論の概略を把握する為には、mixiの日記検索と、twitterのつぶやき検索が便利です。

ざっと見てみると、「映画オーシャンズシーシェパードプロパガンダで、気分悪かった」というコメントが多いようです。内容としては、「日本の食文化に外国人が口を出すな」、「そもそもクジラが減ったのは欧米人が過去に捕り過ぎたからだ」、「クジラは友達と言うけど、牛や豚はどうなんだ」というものが代表的です。

ちなみにオーシャンズは、私も昨日見に行ってきましたが、そんなにバランスの悪い映画とは思いませんでした。エンドロールにも、特にシーシェパードが登場することはなかったですし・・。(見落としただけかも)

ここで、もし世界中の人々に「クジラは友達ですか? 食べ物ですか?」という質問をしたとする。クジラを食べない国では友達と答えるだろうし、食べる国では食べ物と答える。そんなのは当然のことで、それ以上この問いが発展することはないですよね。

更に悪いことに、この種の問いは、不毛で感情的な対立を煽るだけ。そして、こういう民族感情を逆なでする問題は、枚挙に暇がない。

領土問題(竹島尖閣諸島北方四島等)や歴史問題(南京虐殺従軍慰安婦、歴史教科書等)なんかは、まさにそうですね。「どっち?」という問いは、単なる立場の違いを決定的な対立構図として、両者の関係にビルト・インしてしまう。

つまり、その類の問いから出発すると、科学的で冷静な議論は殆んど不可能になる。いや、寧ろ「科学的で冷静な議論をさせない」ために、「どっち?」と最初に問うていると言ったほうが適切かもしれません。

こどものケンカを仕掛けるようなものですが、こういう非建設的な関係を作り上げるために行使されるプロパガンダが、結構たくさんあるものです。ちなみに「鯨は日本の食文化」という有名な標語は、日本捕鯨協会(鯨研)がWeber-ShandwickというアメリカのPR会社に依頼し作らせたもので、私から見ても「非常に恣意的」な表現を採っています。

クジラ問題については、その背景も含め、今度詳しく書きたいと思います。