Public Diplomacy

国際政治レベルで、他国との戦略的な関係性を構築する必要がある時、取り得る手段は3つであるとされています。ハードパワーであるピストル(軍事力)札束(経済力)、そしてソフトパワーに基づく説得工作や文化・価値外交と呼ばれるものです。

しかしピストルや札束とは違い、ソフトパワーには具体的且つ強力な方法論が存在せず、しかも体系化がなされていないため、個人的には戦略の概念に過ぎないのではと若干懐疑的なスタンスをとっていました。つまり、先日の「気象予報士とコンサルタント」でも書いたように、まだArtに過ぎないのではないかと。

次の駐日米国大使のジョゼフ・ナイ氏*1の「ソフトパワー」やその他の文献、そして独自にリサーチもしましたが、そのあたりの疑問は解決されないまま、これまで課題として積み残してきてしまいました。

しかしアメリカ建国の父であるベンジャミン・フランクリンがどのようにしてフランスからアメリカ独立戦争への協力・参戦を獲得したのか。第2次世界大戦後の、特に日本人のアメリカへの憧憬・傾倒はどのように設計されたのか。IVP、フルブライト、対日心理戦略計画とは何か。冷戦終結の起点となったニクソンフルシチョフの台所論争はどのように準備されたのか。建国から世界覇権までの歴史の中で、アメリカはソフトパワーをまさにパワーとして行使しているように見えるのですが、それが体系として全く見えてこない。

昨年の暮くらいに、仕事の中でその深淵を垣間見る機会があり、それから少し方向を変えて取り組んでいるのが掲題のPublic Diplomacyです。ソフトパワーと同じくらい漠然とした言葉ですが、その定義はより明確です。つまり、「自国の戦略的な利益を支援するため、外国の世論の説得を行う」というもの。

Public Diplomacyという言葉は、ジョン・F・ケネディ時代のUSIA*2長官であるエドワード・マローの思想・戦略を彼の死後に体系化した際、作られたものだということです。マローはベトナム戦争の泥沼化、キューバ危機、黒人差別問題等、アメリカ政府暗黒の時代に天才的な手腕を発揮し、逆のモメンタムを演出する等、コミュニケーションの世界では伝説的な人物です。

少し横道に。マローの残した言葉には、50年が経過しても色あせないものが多い。

「拙い政策を巧みに宣伝することは、過ちをより深刻にするだけのものだ。」
これは日本の総理大臣にも聞かせてあげたいものですね。

「情報を1万マイル動かす電気信号が問題なのではない。重要なのはLast-3-Feet。つまり対話である。」
インターネットの普及した情報社会でも不偏の原則だと思います。

アメリカの伝統と倫理は、真実に基づき行動することだ。真実こそが最善の宣伝であり、虚偽は最悪である。説得力を持つためには信頼に値しなければならないし、信頼に値するためには真実が不可欠。単純な話だ。」
ブッシュさんにはHILL&KNOWLTONではなく、マローのような参謀が必要でしたね。

「不時着の時だけでなく、離陸の時にも立ち会いたい」
マローはNSC*3にもメンバーとして参加しています。


閑話休題

Public Diplomacy成立の起源は、やはりアメリカの独立戦争にありました。独立戦争以降、特にアメリカを中心にその思想と手法は確立されていくのですが、そのあたりがよく纏められているのが以下の「アメリカン・センター」です。

第2次世界大戦の中で繰り広げられたブラック・プロパガンダ*4とホワイト・プロパガンダ*5。ヨーゼフ・ゲッペルスに対抗すべく設立されたブリティッシュ・カウンシルと、同時期に米国のブラック・プロパガンダを担当したOSS(戦略諜報局)を母体とするCIA。今日における、これら組織の特殊性が、その設立背景から垣間見えるようです。

歴史の中で培われ変遷してきた国家によるコミュニケーションの概念・戦略の流れを概観することで、Public Diplomacy、ひいてはソフト・パワーの位置づけもより明確に把握できるようになりました。次は、将来の多極化世界における日本のPublic Diplomacyの可能性について考えてみたいと思います。

*1:ビル・クリントン政権にてNIC議長・国防次官補。ナイ氏本人は大使就任を相当渋っているようです・・

*2:アメリカ広報・文化交流庁

*3:国防・外交政策の最高諮問会議である国家安全保障会議

*4:諜報・情報工作

*5:事実に基づく広報活動